京都の丸山公園東にある長楽寺。御本尊は秘仏ですが、天皇御即位のときのみ開帳されます。このたび令和の御開帳にあわせて参拝しました。
長楽寺の御朱印
洛陽三十三所の御朱印
京都の観音菩薩をめぐる、洛陽三十三所観音霊場・第7番札所の御朱印です。
御開帳限定の御朱印
御本尊の准胝観音の御朱印です。
長楽寺の見どころ
長楽寺は延暦二十四年(805)桓武天皇の勅命により、伝教大師・最澄によって開かれました。はじまりは天台宗の別院でしたが、室町時代に国阿上人に譲られ、時宗に改まりました。
寺に隣接する大谷祖廟や丸山公園の大部分も、もとは長楽寺の境内であったそうです。かなり大きなお寺だったのですね。
令和改元直後の休日はものすごい人出で、参道の入り口まで行列がありました。その長さに一度は参拝を断念。ゴールデンウィーク明けに、改めてチャレンジしました。
さすがに行列はありませんでしたが、まだまだたくさんの人でにぎわっている様子。受付で拝観料を納め、御朱印帳を先に預けます。
御本尊開帳の本堂に、いよいよ参拝です。
秘仏・准胝観音菩薩の御開帳
青もみじが映える美しい境内、山にそって石段を上ります。急な階段ですが、ほどなく本堂に到着。そのまま堂内まで入っておまいりできました。
中央の御厨子に安置される本尊は、准胝観音菩薩像。ありがたくも近くまで寄って拝観します。しかし目が悪いので、若干おぼろげ(いつものことです…)
整ったお顔、小ぶりですがたくさんの細い手。胸の前で印を結ぶ手からは結縁の紐、堂外までつながります。動きのある二匹の龍の上に立ち、舟形の光背を持ちます。
龍をあしらった立派な御厨子とあわせて、どことなく上品な雰囲気がします。厨子は東福門院・徳川和子の御寄進です。
係のかたの説明によると、最澄が入唐のときに海難にあい、暴風のなか船上でご祈願されました。すると二頭の龍と准胝観音があらわれ、難をよけることができたとのこと。
無事に帰朝したのち、みずからこの観音像をきざみ、御本尊とされたといいます。
本堂の脇には布袋尊。土をこねたままの焼いていない泥像はめずらしく、こちらは素朴な作りです。大きな口を開け、気持ちよく笑っていらっしゃいます。
続く令和の時代も、穏やかで平和な世の中でありますように。この布袋様のように笑顔でいられたらと願います。
相阿弥の作の庭園
順路にしたがって、次に入ったのは客殿。
こちらの建物からは、美しい庭池を見ることができます。室町時代、相阿弥の作庭で銀閣寺の庭の試作ともいわれます。そんな話を聞くと、銀閣寺のほうも行って比べたくなりますね。似ているのでしょうか?
ちょうど庭には日が当たり、池が明るく反射しています。新緑も美しい。座敷に座ってゆっくりとながめたい気分です。が、たくさんの人でしたのでほどほどに切り上げ、先に進みます。
建礼門院ゆかりの寺宝 特別拝観
続いて収蔵庫にまいります。
こちらでは仏像をはじめ、さまざまな寺宝が展示されています。毎年4月1日~5月10日には特別展があり、貴重な原本も見ることができます。
なかでも歴史を感じるのが、安徳天皇御衣幡。建礼門院ゆかりのものです。
平清盛の娘・建礼門院は壇ノ浦の戦いで入水されるも助けられ、その後長楽寺に入り出家されました。建礼門院と高倉天皇との子・安徳天皇は同じく壇ノ浦の戦いで入水され、わずか八歳で亡くなりました。
建礼門院は安徳天皇が今わのきわまで召されていた形見の衣を、みずから幡として縫われ、菩提を弔われたと伝わります。
『武者鑑 一名人相合』 出典:国立国会図書館ウェブサイト
ほかにも墨で塗り隠された建礼門院の御影など。遠く感じていた出来事が急に目の前にあらわれたような、歴史のつながりを感じます。
仏像好きのわたしがおすすめするのは一遍上人像。重要文化財で、運慶の作風を伝えます。
仏像の種類のなかでも上人像は地味な存在(とわたしは思う)のですが、よく見ると個性があっておもしろいです。
一遍上人像は粗末な衣をまとい、頬がこけているのがデフォルトだそうですよ。個性際立ちすぎる…!
おすすめはそのほか、収蔵庫より上方にある平安滝。少し見づらいのですが、石垣に掘られた仏像たちも良いです。
苔むした石仏、時とともに、いつか見えなくなっちゃうのかな。
今回は特別拝観でたいへんな賑わいでしたが、ふだんは落ち着いて四季折々を楽しめるお寺です。また違った季節に、ゆっくりと参拝したいと思います。
あわせて行きたい 近くの寺社めぐり
長楽寺のすぐ南側には親鸞聖人の墓所・大谷祖廟があります。真宗大谷派の根本ともいえる神聖な場所です(※御朱印はいただけません)
境内自由に入ることができますので、あわせてどうぞ。
基本情報
黄台山 長楽寺
所在地:京都府京都市東山区円山町626
拝観時間:9:00~17:00
公式サイト:http://www.age.ne.jp/x/chouraku/