鏡作坐天照御魂(かがみつくりにますあまてるみたま)神社・通称「鏡作神社」は、鏡の鋳造神をまつります。鎮座地の周辺は、大和朝廷に仕える鏡作師たちが住んだ場所でした。
鏡作神社の御朱印
上部の鏡印、鏡作神社の特徴があっていいですね。
鏡作神社の見どころ
鏡作神社は奈良・田原本町にある式内社のひとつです。
最寄り駅は近鉄田原本町駅。15分ほど北へ歩くと、立派な鳥居が見えてきます。この鳥居の右手前に駐車スペースがありましたので、車での参拝も大丈夫です。
木々が茂る参道を進むと、玉垣に囲まれた社殿があります。さっそく拝殿にまいりましょう。
鏡鋳造の神をまつるはじまり
鏡作神社の御祭神は天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)、石凝姥命(いしこりどめのみこと)、天糠戸命(あめのぬかどのみこと)の三柱。
いただいた栞によると、第十代・崇神天皇の御代に三種の神器のひとつ、八咫鏡を宮中から別のところにおまつりすることになりました(伊勢神宮のはじまり)
天皇はこの地に住んでいた鏡つくりの技術者たち・鏡作部に新しい鏡をつくることを命じられます。つくられた御鏡は、天照大神の御魂として宮中の内侍所にまつられました。
そして鋳造にあたり、試作した御鏡を天照国照彦火明命の御神体としてこの地に祭祀。あわせて鏡作部の遠祖である石凝姥命と、その親神の天糠戸命を氏神としてまつったのが鏡作神社のはじまりと伝わります。
石凝姥命は天照大神が天の岩戸に隠れたときに八咫鏡を作ったことから、鏡つくりの神とされています。
拝殿の戸は閉まっていましたが、格子越しにのぞくと中央にきらりと光る鏡が置かれています。これは国内で発掘された最大の鏡を再現したものとのこと。
また神社には御神宝として三神二獣鏡が伝わりますが、非公開のようです。(境内にあった看板を撮影)三神と二獣、わかりますかね?
本殿・若宮・四社と鏡池
いつものように脇から遠く本殿を眺めていましたが、参拝の案内書きを発見。拝殿の横より入っておまいりできるそう。せっかくの機会、そろりとおじゃまします。
本殿は中央に天照国照彦火明命、右座に石凝姥命、左座が天糠戸命。三社がひとつに連なっているのですね。朱塗りが緑に映えます。
本殿のとなりには四社。むかって左より、天照大神社・手力雄神社・住吉神社・春日神社。
右手には若宮神社。天八百日命(あめのやおひのみこと)をまつります。
また境内には鏡池と呼ばれる小さな池があります。ここで鏡を洗い清めていたとのこと。こちらは鏡のよう…にはうつりませんね。
池の前には、なにやら砥石のような平べったい石もあります。
鏡石と呼ばれるこの石、鏡をつくるときに鏡面を研いで磨きあげるときに使われたそうです。写真では見づらいのですが、実際の石は丸くくぼんだ形がよくわかります。手前の溝は水を流す道かな。
鏡つくりの神様に、製造に使われた池と石。ここは鏡作師たちが住んだ面影を感じる地です。鏡業界や美容師のかたの参拝が多いことにも納得ですね。
田原本町には同じ「鏡作」の名が入る鏡作伊多神社、鏡作麻気神社もあり。どちらも式内社とのこと。今回は参拝できなかったのですが、こちらも機会があればおまいりしたい神社です。
神宮寺の鐘楼
境内ぐるりとまわり、最後に社務所で御朱印をいただきます。
インターホンを押して御朱印帳を預けると、「待っているあいだ、よろしければ鐘を鳴らしてください」とのお言葉。
振り返ると、鐘楼があります。すっかり見落としていました…。
こちらの鐘楼、明治維新のときまで神宮寺が置かれていた名残。神仏習合の思想のもと、ここには聞楽院という真言宗の寺院がありました。
太平洋戦争のときには、金属類回収令により鋳潰される寸前に終戦。運よく戻られた縁起の良い?鐘といいます。
ではお言葉に甘え、鳴らしてみましょう。
少々小ぶりですが、気持ちの良い澄んだ音が響きます。静かな神社の境内に鐘の音。やはり不思議な感じがしますね。
お寺の鐘は仏様に知らせるために、参拝前につくのがいいと聞いたことがありますが、神社のはどうかしら。鈴を鳴らすように鳴らしてもいいものかなぁ。ちなみにこちら、除夜の鐘もつかれているそうですよ。
あわせて行きたい 近くの寺社めぐり
同じ田原本町には村屋坐彌冨都比賣神社、通称・村屋神社があります。大和国一之宮・大神神社の御后神をまつることから「別宮」と称されます。
御朱印も多く受けられ、最近は疫病退散のアマビエの御朱印が人気です。
基本情報
鏡作坐天照御魂神社(鏡作神社)
所在地:奈良県磯城郡田原本町八尾816
拝観時間:不明
公式サイト:なし