茨木・川端通り沿い、地域の氏神として広く崇敬される茨木神社。先に創建された天石門別神社を奥宮にまつります。
茨木神社の御朱印
参集殿(社務所)でいただきました。
茨木神社の見どころ
茨木神社は阪急茨木駅より歩いて約10分、JR茨木駅より約15分と、どちらの駅からも行きやすい場所にあります。茨木市役所も近く、人通りも多い町なかにある神社です。
車では東参道より門を入って駐車が可能。また市営の中央公園駐車場にも隣接しており、こちらも利用しやすくていいですね。
と、書いておきながら、わたしは北にある総持寺・疣水磯良神社の方面より30分近く歩いて行きました。静かな住宅街のなか、南北に散策道「川端通り」が。茨木は川端康成が幼少~青年時代をすごした場所であり、通りには川端康成文学館も建てられています。春には桜もきれいだそうですよ。
茨木神社と天石門別神社
南側に入り口、大鳥居があります。前の道路から神社の境内は低くなっていて、少し見下ろす感じで写真を撮りました。ここから本殿までまっすぐ参道がのびます。にぎやかな街中にありながら、静かな空気を感じる境内です。
参道右手には末社や参集殿(社務所)もありますが、まずは本殿に参拝します。
茨木神社の御祭神は建速素盞嗚尊(たけはやすさのおのみこと)。配祀神に誉田別命(ほむたわけのみこと)と天児屋根命(あめのこやねのみこと)をまつります。
由緒書によりますと、神社の創建は大同二年(807)、坂上田村麻呂が荊切の里を作ったときに天石門別神社が鎮座されたと伝わります。もともとのはじまりは、この茨木神社ではないのですね。
天石門別神社は延喜式神名帳にも記載のある神社です。現在は奥宮として、この本殿の後方にまつられています。
天石門別神社の御祭神は天手力男命(あめのたぢからおのみこと)。配祀神に天宇受売命(あめのうずめのみこと)と豊国神・東照神をまつります。
天照大神が天の岩戸にお隠れになったとき、外の様子を見るために細く開けられた戸から天照大神を引き出されたのが天手力男命、そのきっかけとなった舞を踊られたのが天宇受売命。と、ここでようやく「あめの(あまの)いわとわけ」神社と読めたわたし…察しがつくのが遅いです。
もとは宮元町にまつられていましたが、楠木正成が茨木城を築くときに現在の地に移されました。神明造の社殿が特徴ありますね。たっぷりとした屋根のボリュームが素敵。
奥宮ながら、本社との違いがはっきりしていて、印象に残ります。こちらも御朱印あればいいのになぁ、なんて思ったり…。
ところで茨木神社と天石門別神社、なぜ二社をまつるようになったのでしょうか。
戦国時代、織田信長は勢力を拡大するために多くの寺社を焼き払いました。しかし、天照大神、春日大神(天児屋根命)、八幡大神(誉田別命)と信長の産土神・牛頭天王(素盞嗚尊)の社はまぬがれたそうです。
このため、天石門別神社は牛頭天王をまつると偽り、破壊を逃れました。後の元和八年(1622)、新たに建てた社殿を本殿として牛頭天王と春日大神・八幡大神を、天石門別神社は奥宮としてあわせてまつられるようになったと伝わります。
神様をまつるようになる理由はさまざまですが、こちらは神社を存続させるためにやむなく詐称したことからはじまっていたのですね。
茨木城より移築の東門
茨木神社への参拝は、わたしが通ってきた南からの参道とは別に、東からの参道もあります。こちらにある鳥居のほうが古く、当初南参道につくられたものを移したそうです。
また門は茨木城の搦手門(からめてもん)を移築したものといわれます。そういわれると、なんとなくお城の門っぽく見えますね。
境内ほかにも皇大神宮、稲荷神社などの末社もあり。縦に長い敷地で、いちばん奥には黒井の清水と呼ばれる名水地や梅園もありました。春には梅の花も楽しめそうですね。
令和の大造営
以上、これは令和元年(2019)に参拝したときに基づく記事になります。
現在、茨木神社は「令和の大造営」として、本殿の修復、幣殿・拝殿の造替が行われています。御祭神は本殿前の仮殿にお遷しになり、令和四年の秋まではこちらに鎮座されるとのこと。仮殿では通常通り、参拝やご祈祷は受けられます。
令和四年は、いまの本殿が創建されてちょうど四百年の節目になる年だそうです。新しい茨木神社も楽しみに、またおまいりしたいと思います。
あわせて行きたい 近くの寺社めぐり
阪急茨木市駅・JR茨木駅より一駅先、総持寺駅からは西国三十三所の札所である総持寺が近いです。亀の恩返しの説話のあるお寺で、御本尊も亀の背に乗ります。
基本情報
茨木神社
所在地:大阪府茨木市元町4-3
拝観時間:9:00~17:00
公式サイト:https://ibarakijinja.or.jp/